矢野幸夫先生とのご縁(2015.5.15投稿アーカイブ)|2017.11.07
今度の日曜日、5月17日は矢野幸夫先生のご命日です
矢野先生は元JRAの調教師で、馬の整体をJRAの競走馬に取り入れた方です
もしご存命でしたら、97歳です
何故、馬の整体に興味をもたれたのか・・・・
それは競走馬として生まれたからには、少しでもその寿命を延ばしたいと考えるようになったからです
矢野先生のご実家は生産牧場、そして騎手を経て調教師となり、人生のほとんどを馬と過ごされました
「生活させてもらっている馬が幸せでなければならない」
これが矢野先生の基本理念です
でも最初からこの考え方だった訳ではありません
昭和の高度経済成長のなか、成績の良かった矢野厩舎には有名芸能人や大会社の社長さんたちの馬主さんが集まり、かなりの羽振りだったようです
そんな中、二人三脚で厩舎を運営していた奥さまを癌でなくされました
奥さまの死によって命の儚さ、大切さを強く感じた矢野先生は、
馬も命であることに気付きます
馬が少しでも長く「現役で走ることが出来る」ことの手助けとして整体が必要と感じたようです
当時は「獣医絶対主義」で馬の健康管理は獣医さんに一任され、調教師といえども馬に整体施術をすることに否定的な人たちも沢山いました
あるとき矢野先生はJRAの理事に呼び出され「馬の整体を続けるなら調教師を辞めろ」と通告されました
「調教師は沢山いるけれども、馬の整体が出来るのは俺しかいない」
と言って即答で辞職を受け入れました
しかし馬の整体をしたからといって犯罪があった訳でもトラブルがあった訳でもないので、退職の話はその後、有耶無耶になったそうです
少し話は変わります
戦争中、破傷風の血清をとるために多くの馬たちが犠牲になりました
その中で血統の良い馬だけ13頭を選んで矢野先生と数名の仲間たちは隠して世話をし戦後の競馬再開に備えたそうです
(この話は改めて、また書くことにします)
当時の陸軍に逆らうなど、並の度胸では出来ません
それに比べたら、どんな抑圧も怖くないかもしれません
矢野先生は、その後やはり前夫を病気で亡くされた女性と再婚されました
その女性のお嬢さんが私と友人となった関係で、私は矢野先生とご縁が出来たというわけです