矢野幸夫先生とバロン西|2017.11.07
中山競馬場のすぐ横に行田という町があります
そこは戦争中、軍隊の無線基地局があり、真珠湾攻撃の合図となった「新高山登れ」という暗号が発信されたといわれています
また中山競馬場から車で30分くらいの習志野という場所に近衛兵の練習場がありました。戦後は陸上自衛隊習志野駐屯地となり首都を守る精鋭部隊となっています
競馬界と軍隊はとても密接な関係にありました
ロサンゼルスオリンピック金メダリストで「バロン西」(写真)として有名な西大尉は硫黄島に配属になる前は習志野にいて、競馬場の若手騎手たちに乗馬を教えたこともあるそうです
そのなかで西大尉が最も優秀と選んだ騎手に銀のステッキが贈られました
その選ばれた騎手というのが、まだ10代だった矢野幸夫先生です
このことから「バロン西の最後の弟子」というのが矢野先生の自慢でした