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矢野先生が競馬界に入ったとき(2017.5.17 アーカイブ)|2017.11.07

今日は矢野幸夫先生のご命日です

先生は13歳のとき
北海道の静内から千葉県の中山に騎手見習いとして来られました

当時は各厩舎の調教師が騎手を育成していたのです

中山に来て間もなく矢野先生と同じ新人見習いが「先輩」たちに馬場に呼び出されました

そこには1頭の鞍もハミもない裸馬がいて、先輩たちはその馬に乗ってみろと言います

意地悪そうな笑いを浮かべる先輩たちを見て
「こいつら俺をいじめる気だな」と察知しました

馬に慣れていない同期たちは馬を捕まえることも出来ません
やっと捕まえて跨っても、すぐに振り落されてしまいます

それをあざ笑う先輩たちを見て、非常に強い怒りを感じたそうです

矢野先生の番になりました

牧場育ちの矢野先生は
「言葉を話す前に馬に乗れた」のですから
全く問題はありません

ヒラリと飛び乗りをし、鬣をつかみ、先輩たちの周りを駆け足で輪乗りをして見せました

「頭に来たから、先輩たちの周りを格好良く走ってやった」

先輩たちのビックリした顔を見て爽快だったそうです

呼び出した先輩たちは
裸馬で駆け足など出来なかったのです

馬に慣れていない新人たちを笑うことで
優越感に浸るつもりだったのでしょう

昔も今も
劣等感のある人ほど、他人をいじめるのかもしれません

矢野先生はいつも俯瞰からもう一人の矢野先生が見ていて
「格好よく」振舞うことが美学だったように感じます

それが他人からどう思われようと
美学を通すことが価値基準だったように思います

戦争中、13頭の競走馬を隠して世話をしていたときも・・・

「整体を止めなければ調教師免許をはく奪する」とJRAの理事に詰め寄られたときも・・・

いつもそうだった気がします

強いハートの持ち主でした

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