モンタサン(2016.5.17 アーカイブ)|2017.11.07
5月17日は矢野幸夫先生のご命日
矢野先生は元JRAの調教師
日本で馬の整体を広めた方で、私の師匠です
矢野先生が整体を学ぶきっかけになったのは、モンタサンという先生の管理馬が農薬の付いた飼料を食べて中毒になったことです
モンタサンは1964年東京オリンピックの年に生まれました
セントライト記念をレコードタイムで勝ち、菊花賞の優勝候補として、レースが行われる京都競馬場に移動したとき「中毒」になったのです
これが「事件」なのか「事故」なのかは不明です
しかし矢野先生は「事件」を疑っておられました
モンタサンは激しい下痢と熱発を発症し瀕死の状態で、ついに獣医も匙を投げたそうです
藁にもすがる思いで呼び寄せたのが、馬主さんがいつも施術を受けている東京の整体師の鈴木先生です
馬主さんから懇願され夜行列車で京都に来ましたが、もちろん競走馬の施術の経験はありません
しかし戦後から昭和30年代まで、中毒による下痢はとても多く、鈴木先生は、そちらの施術の経験は十分過ぎるほどありました
「排尿によって毒素を体外に出せば助かる」
施術後、モンタサンが後肢を広げ大量の尿を放出したとき、心底矢野先生は安堵し感動したそうです
「そして整体を学びたい」と考え始めました
モンタサンは27戦12勝
そのうち5つがレコードタイムです
しかしG1の勝ち鞍は朝日杯のみ
そういったことから「不運の名馬」と称され
ファンより信者に近い「モンタサン党」という言葉も生まれました
寺山修司はモンタサンの詩を書き
みの もんたさんの芸名はモンタサンに由来しています
矢野先生にとって
「生涯で最も印象に残った馬」
だそうです