矢野先生のカルチャーショック|2017.11.07
1970年代のある年
JRAの調教師会でアメリカへの視察旅行があり、その年のダービーに勝った馬がいる厩舎を訪れた時のことです
矢野幸夫先生も同行されていました
厩舎の前に放牧場があり、14歳くらいの女の子が馬を引いて歩いているのが見えました
ポニーテールにTシャツ、ショートパンツ、そしてサンダル履きです
その姿を見た矢野先生は、カルチャーショックを受けました
今でもそうですがJRAで馬を引いて歩くときは、
ヘルメット、プロテクターの着用が義務付けられています
ましてやサンダル履きなど論外です
「かなり大人しい馬なんだろうな」
「当然、競走馬ではないだろう」
応接室に通され調教師との会談が始まりました
すると
「実はダービーに勝った馬は今朝から腹痛で、娘がずっと引き馬をしているんだ」
矢野先生が放牧場で見たのは、なんとダービー馬でした!!
当時、馬が腹痛のときは引き馬をして腸を動かし便意を促すというのが定番でした
排便がゴール
ひたすら歩き続けるのです
日本では有力馬を引き馬するとき
「突発的な危険」に備えるため、馬の両サイドに人が立ち「引手」といわれるロープを持って歩くのが常識でした
有力馬は「性格が猛々しい」からです
もちろん男性の仕事です
当時のJRAには女性厩務員などいませんでした
そしてもっと驚いたのは
そのダービー馬と女の子は会話をしながら、たまに頬擦りをしながら楽しそうに歩いていることでした
矢野先生が知っている引き馬は
両サイドに立った男性が黙々と歩き
大抵は「早く終わらないかな」と
つまらなそうな表情をしている情景です
ダービー馬は子馬のときから、このお嬢さんと仲が良く
彼女といることが一番リラックスするそうです
他の厩舎を訪問しても、そこには必ず女性スタッフがいました
そして調教師たちは異口同音に
「体調が悪い馬は女性スタッフに任せる」と言うのです
帰国した矢野先生は女性厩務員の必要性を競馬界に訴えました
しかしそれが実現したのは、ずっとずっと後のことです
写真は映画「ドリーマー」のダコタファニング
矢野先生が会った少女は、こんな感じだったかもしれません